
正直言って「自由に」とは言えないでしょう。
英語の先生だって、そうすらすら書けるわけではありませんから。でも、根気強く、少しずつ練習をしていけば、必ず「合格答案」と言われるものは書けるようになります。
ギリシャのある哲人は「書き手を目指す者、書くべし」と語っていますが、これは自由英作文にも当てはまります。書いて、書いて、書きまくれば、だんだんとコツが飲み込めてくるものなのです。
ただ、段階を踏む必要はあるでしょうね。短い英文すら書けない人がいきなり自由英作文を書いても空回りしてしまいます。最初は基本的な短文を暗誦し、通常の英作文で練習を重ね、その上で自由英作文の問題に取り組むことが結局は近道でしょう。
基本的にはそうです。
でも、世の中には文才のある人がいて、そのような人は先生に見てもらわなくてもそれなりの答案を書きます。しかし、ほとんどの生徒はそうではないでしょう。
添削をしてもらわないと、個人的なひどい癖がなおらず、他人を納得させる英文をつくることは難しいでしょうね。
ただ毎回添削してもらうのが何らかの事情で難しいなら、数回に一度だけ添削してもらうとよいと思います。その場合には、自分で推敲に推敲を重ねて、これなら自信作だと思われるものを先生に見てもらうようにするのがよいでしょう。その方が貴重な添削の機会を活かすことにもなりますし、いい加減なものは出せないという緊張感も生まれるでしょう。
また、添削をしてもらって自分の悪いところをよく反省すると、自分の答案を「他者の目」で見るという批判的な態度が醸成されてきます。そうなると、自分の答案を自分で添削することも可能になりますが、これをやる場合は答案を書いてから少し時間を置いたほうがよいでしょう。時間を置くと、自分の答案をより客観的に見ることが可能になるからです。でも、人間は結局は自分に甘い動物ですから、何と言っても一番よいのは信頼のおける先生に添削してもらうことです。
結論から言うと、その先輩が大学で英語を専門にしているとか、英語が非常に得意であるとかといった事情がない限り、やめたほうがよいでしょう。
採点がスペリングのミスや文法上の誤りといった機械的な事柄だけに向けられ、総合的な判断ができず、客観的評価が得られないことが多いからです。
なぜこういうことが言えるかと言うと、一部の予備校で実施している模擬試験の採点を見ていると首をかしげざるを得ないようなことが多々あるからです。
毎年、予備校の模擬試験が盛んに行なわれる秋になると、必ずと言っていいほど、私の関係している生徒が、憤慨しながら自分の答案を見せにきます。予備校の模擬試験の採点は基本的には予備校の先生が行なっているはずですが、どうも大学生がアルバイトで採点を行なっているのではと思われるふしがあり、そのような場合に不適切な採点が行なわれることが多いのではないかと思います。
生徒は「先生、この採点おかしくないですか」と泣き出すような顔をして言ってくるのです。そして、その答案を見てみると、機械的と言わざるを得ないような採点をしているのです。スペリングが全部で5つ間違っていたから、マイナス5点と言った具合です。これではどんどん減点されていきます。また、予備校の模範解答例にないような表現に出くわすと、正しい表現であるにもかかわらず間違いにされている例もよくみかけます。良心的な採点者なら、このような表現があるかもしれないと、辞書に当たって、その上で判断をするはずですが、時間に追われているのか、間違った判断をしてしまっているのです。
そのような場合、私は生徒に、「僕は君の普段の実力を知っているから、こういう採点は気にしないほうがいいよ。大丈夫、大丈夫!」との言葉をかけ、自信を回復させます。予備校の先生は治療者でもあるのですから。
この問題は2段階で考えましょう。
まだ本番の試験まで時間があるときは和英辞典や英々辞典を積極的に利用してもよいでしょう。この時期は基本的な英語表現を習得していくことが大切だからです。
しかし、2学期の後半からは、特に試験が近づいた直前期には、そのようなことはしないほうが得策です。なぜなら本番では辞書は使用できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。英語の表現がうまく浮かばない原因としてよくあるのが、「ある特定の表現にこだわっている」ということです。
例えば「老人は頑固です」を英語にする場合、「頑固な」に対応する英語の表現obstinate を思い出そうとしてもどうしても浮かんでこない場合、それにこだわっていると前に進めません。
このような場合には、「頑固」の類語や似たような表現を探すようにすれば意外と解決の糸口が見つかるものです。
例えば、
Elderly people have their own way in everything.
とか
Elderly people stick to their lifestyles.
とか
Elderly people often do not take others’ advice.
などの表現でも十分に意味は伝えることができるのです。要するに、特定の表現が浮かばないときは、それを潔く捨てて、それに近い表現を探そうとする姿勢が大切なのです。
これは英語の表現が思い浮かばないという問題とは別の次元の問題で、そもそも書くべき内容を知らないという問題です。多くの受験生がこの問題を抱えています。
例えば「水について自由に100語以内の英語で書きなさい」という問題が出た場合、何をどう書けばいいのか、とっさには浮かばないことが多いのではないでしょうか。
大学の先生が、現代という時代にこのような問題を出題するということは、世界の多くの国で水不足や汚染された水で悩まされている人が大勢いることを念頭においていることは疑いのないところでしょう。ところが、現代の日本の若者はあまり新聞を読みませんし、また日本には水が潤沢にありますから、から、そのような出題意図がつかめないのです。
そのような場合の対処法としては、自分の既知の知識を動因して、そこから新しい発想の糸口がつかめないか考えることです。具体的には、あなたが水について知っていることを何でもいいから下書きに書き出していくのです。
例えば、「ペットボトル」、「汚染された水道水」、「浄水器」、「洪水」、「名水百選」、「森の中のきれいな水」、「病気を治す聖なる水」、「雨水」、「水の泡」、「渇水」、「噴水」、「水に流す」と思いつくまま書きます。そして、次にこれらの言葉をじっとにらんで、いくつかの言葉をうまく組み合わせてストーリーができないか想像をめぐらせるのです。小説家になった気分ですね。
そうして、例えば、次のようなストーリーを作ってみたらどうでしょうか。
「先日、噴水がある公園に行ったら、いつもの噴水から水が出ていなかった。そばに寄ると渇水のためにしばらく噴水はお休みすると書いてあった。そういえば、最近は異常気象が多く、日照りが続いたかと思ったら、急に洪水になったりする。多分これは異常気象のせいだろう。これも地球温暖化と同じように、人間の文明活動が一因をなしているのではないのだろうか。」
自分で思いついた言葉のたった3つを利用するだけで、上のようなストーリーができるのです。これが既知の知識を利用して初めての問題に対処する方法です。 ただ、問題によっては既知の知識を動因してもうまく対応できないことがあります。つまりこの方法にも自ずと限界があります。
ですから、正攻法をとって、現代人として知っておくべき知識・常識をもっと増やしていく努力もすべきです(これは英文を書くときだけでなく、長文の英語を早く正確に読むときにも必要なことですね)。その手っ取り早い方法としては現代社会での問題を整理してある『話題別英単語リンガメタリカ改訂版』の日本語の部分だけでも通読すれば、力強い味方になってくれるでしょう。
あなたが実際にそれでやっていていつも合格答案と呼べるものが書けているなら、そのやり方はあなたに向いているのでしょう。しかし、私の経験では、そのようなやり方をしている生徒の答案は失敗することが圧倒的に多いように思われます。
その原因のひとつは、日本語にしてしまうと、その表現を逐語的に英訳するようになり、その結果、特に全体の構成などに無理が出てくることが多いのです。
通常与えられたテーマについて書く場合には、いきなり書き出すのではなく、何をどう書けばよいか事前に構想を練ります。そしてその構想の結果をいくつかのキーワードや短い語句にしてまとめます。次にそれらを交通標識のようにして、例えば、A→B→C→Dのように書く順番を考えます(A、B、C、Dはキーワードや語句)。
そして実際に書き出して、この順番でうまくいくなら、それでいいのですが、現実には途中で別のことに触れなければならなくなったり、順番を変更する必要が出てくることもありうるのです。
そのような場合、キーワードや短い語句だけで事前に構想を整理してあるときは柔軟に対応できるのですが、日本語の下書きをそのまま逐語訳していくやり方では完全に行き詰ってしまうのです。
また、日本語の下書きをそのまま英語に直していく場合、日本語の下書きはそれほど不自然には感じないが、英語に直したものは何となくおかしいと感じられることがあります。
よく引き合いに出される例ですが、朝日新聞の「天声人語」は日本人には違和感なく読むことができますが、これを英語にそのまま訳すと英米人にはうまく通じないことがあります。
これは多分、日本語と英語の文章の組み立てが基本的に異なることからくるものでしょう。こういう点からも、日本語の下書き方式は避けたほうが賢明でしょう。
日本語の下書き方式の最大の問題点は時間がかかることでしょう。自由英作文は通常20~30分で書き上げなくてはなりませんから、「日本語の下書き→英語の作文」というやり方では、時間がかかりすぎる可能性があります。
実際にそのような答案を書いている生徒に、どのくらい時間がかかったか聞いてみると、ひどい場合には1時間を超えています。ですから、普段からキーワードや短い語句を使って構想を練る練習をしたほうがよいと思います。
外国人留学生のために英語の作文をどうかけばよいかを指導している、英米で出版されているある本によると、書き言葉は話し言葉と異なるから、作文ではあまりにも単純な英文は使用すべきではないとして、次のような例が載っています。
My mother and father came to America. They came for their children’s education. So they left their lives in Pakistan.
→ My parents came to America for their children’s education, leaving behind their lives in Pakistan.
最初の英文と2番目の英文を比べると、最初のものは3つの文から成り立ち、それぞれが非常に単純な英文です。まるで小学生が書いたような英文ですね。
ところが、2番目の英文は1つの英文で、最初の3つの英文の内容を凝縮している実に見事な英文です。このような英文を書くならば、採点をする大学の先生に「この生徒は英語の力があるな」と思わせるに十分でしょう。
しかし、日本の受験生の中でこのような見事な英文を書ける人はごく少数でしょうし、それに無理してこのような英文を書こうと心がけると、文法や構文のミスをおかしかねません。ではどうすればよいのでしょうか。
自由英作文は基本的には英語の試験ですが、判定には当然その内容も関わってきます。
ですから、単純な英文しか書けないときは、内容で補うように心がければ、欠点を補うことは可能なのです。言葉だけではわかりづらいと思いますから、神奈川大学に出題された問題についてのある生徒の解答例を紹介しましょう。
この生徒の英文は単純ですが、内容がありますから、大学の先生は間違いなく合格答案と判定するでしょう。
問題
A friend ないしFriendship というテーマで約100語の英文を書け。ただし、次のことわざの精神を盛り込んだものでなければならない。
‘A friend in need is a friend indeed.’
(神奈川大学)
ある生徒の解答例
次の英文はある生徒が書いた答案ですが、ほんの少しだけ私が手を加えています。
I have some friends. But what are they? Are they my companions, advisers or something like treasure? The following is my opinion about ‘real friends.’
- When you are in trouble, they will help you. If you ask for their advice, they will seriously think about your problems.
- If you do something wrong, they will scold you.
- When you feel sad or lonely, they will comfort you.
In addition, real friends are necessary for our growth, so we should help each other. If you are worried about whether your friends are real ones or not, why not try to make sure? It is a very easy thing. You have only to say to them, “I’m in trouble. Please help me…”
上の答案を見て、どう感じましたか。使用されている英文自体は非常に単純ですが、友情のことをよく考えてある答案で、内容が濃いですね。それに全体の流れも見事です。
そして何よりも問題が要求している ‘A friend in need is a friend indeed.’(まさかの時の友が真の友)ということわざの精神が最後の文に余韻を残すような形で書かれており、非常に効果的です。この答案を見て、大学の先生が「英文が単純だから不合格」と判定したなら、大学に入って大きく花を開かせるかもしれない1人の生徒を獲得できなかったことになるでしょう。
あなたのようにこの問題で悩んでいる生徒さんは、多くはありませんが、いますね。
確かに、英語を書く場合、ネイティブが話したり、書いたりしている自然な英語を使用するのが理想でしょう。しかし、「何がネイティブらしい表現か」はそれほど簡単なことではありません。
例えば、日本で出版されている日本人著者によるある英語表現辞典に「彼女は肌が白い」の英訳として日本の和英辞典には She’s fair-complexioned. が出ているが、これは実際には米国では使用されていないとしています。
さらにこの本には、米国の著名な言語学者が書いた英語の用法辞典にはShe’s light-complexioned. がすすめられているが、これもまれにしか使用されていないとして、She has a light complexion. / She has light skin. / She’s light-skinned. / She’s fair-skinned. などがよく使用されているものであるとし、これらの表現を推薦しています。
つまり、米国の言語学者が「彼女は肌が白い」はShe’s light-complexioned. を使用しなさいと言っていることに対して、日本人の著者が自分の調査によると実際には使用されていないから、避けたほうがよいと言っているのです。仮にこの日本人筆者の言っていることが正しいなら、米国人自身も何がネイティブらしい表現なのかよくわかっていないということになります。
私の考えでは、大学受験では、上に出てきたいずれの表現であっても間違いにはされることはないと思います。 この問題は、突き詰めていくと「言語とは何か」という問題に突き当たります。つまり、言語は「模倣」なのか「創造」なのか、という問題なのです。もし模倣であるということになれば、社会の大多数の人が話している共通の表現をそのまま模倣して、自分の言いたいことを伝えるということになります。
昔から「英作文とは英借文なり」と言われてきましたが、この言い回しは模倣に重点を置いているのです。しかし、世界的に有名な言語学者であるチョムスキーは、人間は言語を獲得する一般的能力(具体的には、世界の各言語に普遍的な構文や文法に関する知識)をもってこの世に生まれてきている、と語っています。
この能力を前提にしないと、赤ちゃんが短期間にあれほど急速に特定の言語である英語なり、日本語なりを覚えられことが説明できない、と言っているのです。チョムスキーの考え方に従うなら、私たちは生まれながらにしてもっている普遍的な文法や構文の知識によって、自分独自の表現を工夫することが可能になります。しかし、これは独善的な表現ではありません。なぜなら、私たちの脳に生まれながらにして刻み込まれている普遍的な文法や構文の知識に従っているからです。
こう見てくると、私たち1人1人には、今まで多くの人々が使用したことのない新しい表現を作り出す潜在的能力があるということになります。ですから、作文ではこの能力をもっと活かして、自分の表現を「創造」してもよいということになります。
この問題についての私の考えを述べるならこうなります。明らかに現代のネイティブが使用していないと思われる極端な表現、例えば否定の意味を含む関係代名詞 but を使って、There is no one but loves his own country. (自分の国を愛さない人はいない) と書くなら、採点する先生は減点すべきかどうか立ち止まって考えてしまうでしょう。
このような極端な場合でない限り、正しい文法や構文に従った英文で、相手に意味が明瞭に伝わる英文なら、それがネイティブの頻繁に使用する表現でなくても、問題はないということです。
確かに、このような指示が書かれていることがありますね。
次にあげる2つ問題はまさしくそのような例です。
A大学では、カリキュラムの一環として、ボランティア活動への参加をとりいれている。あなたがA大学に入学して、何らかのボランティア活動を行うとすれば、どのような活動に参加したいか、それはなぜかを40~50語程度の英語で述べよ。文の数に制限はない。
(内容よりも作文能力を問う問題であることに注意せよ。)
(1999年 東京大学)
英語は、母語が異なる人々の間をつなぐ国際的共通語として最も中心的な役割を果たしており、子どもたちが21世紀を生き抜くためには、国際的共通語として英語のコミュニケーション能力を身に付けることが不可欠である、という意見があります。これについて、あなたの意見を70語程度の英語で述べなさい。なお、この問題は、答えの内容ではなく、英語の表現力を問う問題です。
(2007年 岩手大学・前期 / 教育・人文社会科学部)
以上の問題にはいずれも「内容を問わない」という趣旨の但し書きがついていますが、出題者はどのような意図でこのような但し書きをつけているのでしょうか。
これについては2つ解釈が可能でしょう。
- この問題は、英語の力を試す問題であって、あなたの思想調査を行なうものではない。
- この問題は、英語の表現力を問うものであって、その内容の良し悪しを問題にするものではない。
1. の解釈は下に示した日本国憲法に規定されている「法の下の平等」(14条)や「思想・良心の自由」(19条)に関係があります。
| 第14条 | すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 |
|---|---|
| 第19条 | 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 |
つまり 1. の解釈は、「私ども大学はあなたの書いてある内容が私たちが気に入らないか考えであったとしても、それによってあなたを入学の選抜において差別することはありませんし、またこの自由英作文問題であなたの思想や信条を調査する意図はまったくありません」と宣言しているとみているのです。
もう1つの解釈は、「これはあなたの英語の表現力という技能を問う試験ですから、あなたの書いてある内容の良し悪しによって減点をするようなことはありません」と捉えることです。
以上の2つの解釈のどちらをとるべきなのでしょうか。結論から言うと2. の解釈をとるべきでしょう。なぜなら、憲法で規定されている「法の下の平等」や「思想・良心の自由」は当然守られなければならない基本的人権ですから、自由英作文の問題を出題するに当たって、大学側がいちいちこのようなことを述べるとは考えられないからです。
では、2. の解釈をとった場合、自由英作文の採点を行うとき、内容を問わずに英語の技術的な力だけを判定することは可能なのでしょうか。
私の考えでは、これは不可能だと思います。どのような種類の英文を書くにしても、内容は必ず問題になるはずです。
例えば、ある受験生が英語としては文法的にも語法的にも間違いがない英文を書いたと仮定しましょう。もし大学が「内容を問わない」という但し書きを厳密に適用するなら、この受験生の答案は満点になるでしょう。でも、英文としては欠点がなくても、書いてある内容が支離滅裂であるとか、何を言っているかわからないという場合もありえます。
そのような答案に満点を与えたなら、この大学は人間同士のコミュニケーションをどう考えているのか問われることになると思います。大学は受験生のコミュニケーション能力をたずねる意図で自由英作文の問題を出題しているはずなのに、結果としてはコミュニケーション能力を度外視することになってしまうからです。多分、私のような意見が出たのかもしれません、東京大学では1999年以降は「内容を問わない」という但し書きはつかなくなりました。
結論を述べます。自由英作文に「内容を問わない」という但し書きがついた場合は、内容をまったく問わないのではなく、「この問題は英語の表現力と内容を試すものだが、採点の基準は表現力のほうに相対的に比重が置かれます」と解釈すべきでしょう。
こうみてくると、上に示した岩手大学の「なお、この問題は、答えの内容ではなく、英語の表現力を問う問題です。」という断定した書き方は、受験生に誤解を与えかねません。
一考の余地があるでしょう。
私も以前このような相談を生徒から受けたことがあります。
その生徒はある英語専門塾に通っていて、そこで自由英作文を指導している先生は日本に長い間生活しているネイティブだというのです。ネイティブの先生の話なので、生徒には格別の説得力があったのでしょう。生徒の話だけでは具体的なことがわからないので、その先生が書いたある問題の解答例を見せてもらいました。
そうすると確かに “ I ” はどこにもありません。でも、読んでいると、書いている人の顔が見えず、冷たくて、かなり不自然な感じがするのです。私はこのような書き方がはたして採点する先生の心を動かすことができるのか、非常に疑問を感じました。
では、なぜこの先生は “ I ” を使用するなと言ったのでしょうか。それは、論説文は自分の主張を客観的なデータなどをあげて実証することが目的ですから、I think や I believe などをいくら使っても自分の主張を裏付けることにはならないと考えているからでしょう。そして、英米の論文などの指導書にもそのようなことが書かれているものがあると聞きます。
この問題は形式ではなく実質で考えたらどうでしょうか。論説文は、たとえ大学入試のものであろうと、ある程度の客観的裏づけは必要でしょう。そうであるなら、仮に I think や I believe を使ったからいけないというのではなく、I think や I believe の内容を裏付けるそれなりの証拠が別にあるのかどうかが決め手になるべきです。そのようなものがないなら、I believe をいくらお経のように唱えても意味はありません。
具体的に考えてみましょう。
例えば、死刑制度の是非についての問題が出たとします。そしてあなたは死刑制度を存続することに賛成だとします。その場合、それを根拠づけるためのデータ、つまり死刑制度に犯罪を抑止する力があることを示すデータがあるとします(このようなデータ自体が本当に存在するかどうかはなはだ疑問ですが)。
それを論説文の Body で示したうえで、最後のConclusion で、“ I ” を使用せずに、Considering the above data, the death penalty should not be abolished. と書くのと、Considering the above data, I don’t think the death penalty should be abolished. のように I don’t think を入れて書くのと、どれだけの差があるというのでしょうか。
証拠を出している限り、差はないのです。
結論から言うと、この形式に従わなくても合格答案を書くことは十分に可能です。
実際、生徒の答案を添削していると、上の形式に従ってはいないけれども、人を説得するに足る非常に魅力的な答案に出会うことがたびたびあります。
Introduction―Body―Conclusion の形式は、英米の論文指導書などで推奨されている書き方です。ですから、例えばアメリカの大学でこの形式に従わず、自分のスタイルで書いたら、その論文は見てもらえないか、書き直しを命じられるでしょう。
しかし、ここは日本です。そして私たちが受けようとしているのは大学受験です。自分の言いたいことを他人にも読みやすく書いてあれば、それで十分でしょう。しかし、注意は必要です。「自分に合ったスタイルで他人にも読みやすい文章」というのはそう簡単に書けるものではないのです。
文章の修行を長年も何年も積んで、知らず知らずのうちに体得できるようなものなのです。
ついでですから、脱線しますが、かつて毎日新聞に大森実という反骨精神をもった素晴らしいジャーナリストいました。この方には次のような伝説があります。記事を書くとき、その記事を構成しているファクターをまず6個に絞る、次に1から6の数字が刻印してある鉛筆(鉛筆は6角形)を机の上で転がし、かりに3がでたら、3のファクターから書き出すというものです。つまり文章の達人になると、どこからでも書けるということを言っているのです。
だからと言って、高校に入ってやっと日本語の作文や英語の作文を書き始めた生徒が、個性的なスタイルの書き方をすぐに身につけられるとは思えません。また、あまり自分の書き方にこだわると、支離滅裂な文章になって読むに耐えないものになることも多いのです。そのような事態になる可能性が高いなら、Introduction―Body―Conclusion の形式を守ったほうが入試では無難でしょう。
なぜなら、この形式は他人に自分の考えを伝える共通の表現形式として伝統的に確立したものであり、読む者は安心感をもって読めるからです(おもしろいかどうかは別です)。そして、この形式に従って自分の考えを書く練習を重ねていくと、知らず知らずのうちにこの形式を踏襲するような書き方になってくるでしょう。
しかし、一方で、この形式に違和感を覚え、自分の気持ちをうまく伝えることができないと感じるときがくることもあるでしょう。そのときは、重い鎧(よろい)を脱ぎ捨てるように、Introduction―Body―Conclusion の形式から脱皮して、自分の思考に合致したスタイルを考えてみるべきなのです。
以上述べたことを要約するならば、「型」から入り、それに十分に習熟し、そしていつかはその型を乗り越えることができるなら、自分の思い通りの自由闊達な文章が書けるようになるということです。
ご質問に関しては貴重な情報があります。
それは、2007年5月30日の The Daily Yomiuri のウエッブ版に宮崎大学医学部で准教授をされている Mike Guest さんが寄せた文章です。
Guest さんは入学試験の自由英作文を採点しており、その経験からおおよそ次のようなことを述べています。本当にインパクトのある自由英作文を書きたいと思っている受験生は、Guest さんの言葉に耳を傾け、今後の学習の参考にしてください。
日本では英会話を勉強するときは紋切り型の表現、例えば挨拶の定番として “How are you?” “Fine, thank you. And you?” と教わるが、実際の会話ではこのように言われるのはまれで、もっと多様な表現がある。にもかかわらず、それを教えられる英語の先生が日本にはほとんどいない。
これと同じく、書き言葉においても、実際にはあまり使用されていない紋切り型の書き方が教えられている。
その代表格としては the three-point essay formula がある(注―念のために述べておくと、the three-point essay formula は、Introduction―Body―Conclusion の形式をさしている)。 学校などの英語の授業で the three-point essay formula が教えられているようだが、私たちが書く実際の文章でも、新聞でも、このようなスタイルで書いているものはほとんどない。
それにも関わらず、the three-point essay formula を生徒に教えるのは、書くことに未熟な生徒に一貫性のある文章を書かせる訓練をさせるつもりなのだろう。でも、これは実際にはまれにしか使われない紋切り型の会話表現を教えることと何ら変わらない。
それに、この形式を教えることには弊害もある。
第一に、英語の作文にはこの書き方しかないかのような硬直した印象を植え付け、書き手の文章に個性や人間性が現れない。
第二に、表現形式と内容の関係を誤解させてしまう。
最初に表現形式があって、次にそれに内容を盛り込むのではなく、内容が先にあって、次にそれにふさわしい表現形式が選択されるのだ。説明的な文章なのか、人を説得したいと思う文章なのか、個人的な内容なのか、学問的な内容なのか、それともこれらを組み合わせたものなのか。その内容に応じてふさわしい表現形式が選ばれるのである。
学校では大学入試の自由英作文対策として生徒に the three-point essay formula が杓子定規に教えられているが、この書き方は生徒の書く答案にインパクトを与えるのに役には立たない。
In fact, it has a Family Restaurant effect―safe, but formulaic, lacking in personality and not really expressive of the cook or writer.
(実際、「序論・本論・結論」の論文方式はファミリーレストランの効果をもっている―安全だが、紋切り型で、個性に欠け、料理人つまり書き手の顔がまったく見えないのだ。)
私たち採点官(私の同僚も同意見です)が受験生に期待しているのはこうである。
What many test-markers want to see on such test items is quality of thought, the ability to address and deal with the topic in some stimulating manner.
(試験の採点官の多くがそのような作文のテストで見たいと思っているのは、思考の質、与えられた話題に刺激的な方法で取り組み、それを扱うことができる能力である。)
以上が Guest さんの述べていることの概要です。Guest さんは、入学試験に出題された自由英作文の答案を採点していて、型にはまった答案があまりにも多く、辟易しているのでしょうね。Guest さんが述べているように、大学側が最も知りたいと思っている事柄が、受験生の人間性・個性、思考の質、問題への取り組み方であるということは、受験生なら真摯に心に留めておくべきでしょう。
Quest さんが述べている事柄の中で、私が一番注目するのは、 “quality of thought” (思考の質)です。私が生徒の答案を採点していて、いつも感じることは「この生徒はちゃんと考えているのだろうか」ということです。同じことを何度も何度も述べたり、原因と結果の因果関係がめちゃくちゃだったり、対比が適切でなかったり、比喩が不自然であったり、特殊な事例から断定的に一般化したり、グループ化する場合にそこに含める要素に統一性がなかったりと、あげたらきりがありません。でも、このような欠点や不備は常識的な思考をもっている人ならすべて回避できるのです。大学の先生は、そのような思考力をもっているかどうか、つまり “quality of thought” を一番知りたがっているのでしょう。
アメリカの大学の入学者選抜は、通常、筆記試験だけでは決まりません。
大学側は、日本のセンター試験に相当する統一テストの得点、高校時代の課外活動、面接、推薦書、入学申し込み時に提出するエッセイなどを総合的に判断して、合格者を決定します。これらの判断材料の中で、エッセイは非常に重要な位置を占めていて、受験生は印象的なエッセイを書こうとかなり神経を使っています。効果的なエッセイを書くためのプロのコンサルタントもおりますし、また受験生の書いたエッセイを集めた本も出版されています。
今、私の手元に 50 Successful Harvard Application Essays という本がありますが、この本には受験生の書いた50のエッセイとそれについての論評が載っています。 これら50のエッセイを読んでびっくりすることは、話題も文体も多岐にわたっていて、書いている人の個性がにじみ出ているということです。
質問14で、宮崎大学医学部で教えられている Mike Guest さんが、日本の受験生の書く自由英作文には個人の顔が見えないと嘆いていましたが、それはひょっとしたらアメリカの大学入試時の受験生のエッセイと比較してのことだったのかも知れません(だた、日本の受験生にとっては、英語が母語ではありませんし、試験方式も異なるので、このような単純な比較には問題はあるでしょうが…)。 なお、上記の本の最初の部分にエッセイを書く際の心構えが16項目にわたって書かれています。
その中から、日本の受験生にも役に立ちそうなものをいくつか紹介しておきましょう。
- エッセイの練習は早い時期から始めよう。
- エッセイの話題について友人たちとブレインストーミング(アイデアを出し合うこと)をしよう。
- 語るのではなく、見せるようにしよう。(Show. Don’t tell.)
- 知らない単語は使用しないこと。
- 書き出しは非常に重要。
- 結論は明確に書き、インパクトをもたせよう。
- 中間部を手抜きしないこと。
- 簡潔に書くこと。
- 校正をしっかり行なおう。(Proofread.)
16項目のうち9項目を紹介しましたが、原著では、14. Proofread. 15. Proofread. 16. Proofread. と、「校正せよ」を最後の3項目で反復しています。
それほど校正は重要なのです。
実際に生徒の答案を見ていると、少し見返せば直せるケアレスミスがあまりにも多いのです。何度も何度も校正する癖をつけることは良い文章を書く上での要諦と言えるでしょうね。 また、原著では、日本の自由英作文についてなされるアドヴァイスとはやや趣きの異なるアドヴァイスをしていますので、その概要を紹介しておきます。
「合格するためのエッセイの書き方について、あなたは今までさまざまなアドヴァイスを受け、その中には相互に矛盾するアドヴァイスもあることに気がついたことと思う。だからといって、混乱したり、がっかりしないで欲しい。私が申し上げたい一番大切なアドヴァイスは、効果的なエッセイの書き方に一定の方式などないということです。内容に関しても、書き方に関してもあなたのものでよいのです。あなたらしいものでよいのです。家族旅行でナイアガラ瀑布に行ったことを書いてもいいし、ダライ・ラマに会ったことについて書いてもいいのです。テニスの試合に負けて、かんしゃくを起こしたときのことを書いてもいいのです。自分のことを書けば、あなたがどのような人物か本当によくわかるのです。そこが自分のことを書くことの利点なんです。」
よくアメリカ社会は競争社会で、個人が自己をアピールしないと大勢の人々の中に埋没してしまうと言われますが、上のアドヴァイスにはそのようなアメリカ社会の特徴がよく現れています。でも、このアドヴァイスは自由英作文で成功したいと思っている日本の受験生にも参考になるでしょう。
なぜなら、大勢の受験生に埋没しないためには、答案の中で自分を目立たたせる必要があるからです。もちろん、これは英語の力がある程度ついてからの話ですが、試験というものはそういうものだと肝に銘じておくことも大切です。
自由英作文の予習に1時間も2時間もかかっている生徒がいます。
これは2学期の前半ぐらいまでならいいのですが、受験期が近づいてきたら、もっと短い時間で処理できるように訓練をする必要があります。
辞書に頼らずに自分であれこれ表現を考える訓練をしましょう。
また、本番と同じ30分前後の制限時間をもうけて、緊張感をもって答案練習をするのもいいでしょう。しかし、それでも30分を優にオーバーするようなら、あなたの書き方に何か問題点があるはずです。
それは細かいところに不必要に目がいってしまうということかもしれません。
文章を書く場合には、まず、1本の木を思い浮かべるのがよいでしょう。太い幹があなたの書きたい事柄の中心部分です。
しかし、木は太い幹だけで成り立っているわけではなく、大枝や小枝もあります。それと同じで、文章の場合にも、太い幹以外に大枝や小枝があります。
短時間に自由英作文が書けるようになるコツは、書く内容を幹と大枝にとどめ、小枝に走らないということです。時間がかかってしまう人は、最初のうちは幹を登っていたのに、気がついたら小枝の先まできてしまって、身動きがとれなくなっているのです。要するに、枝葉末節に走らないということが大切なのです。
自由英作文を短時間で処理したいなら、「短く太く」(生き方の教訓みたいですが)書くことが大切です。そのためには論点を2、3個に絞ってしまうことが得策です。そしていつも太い幹をイメージして、そこからぶれないようにすることがうまくいく秘訣です。
英語が上達するには辞書の使い方が非常に大切ですね。
特に自然な英語を書きたいと思う場合には英々辞典は手放せないと思います。
あまり専門的になってもいけないので、受験生にも使いやすく、自由英作文を作るときに役立つと思われる辞典を1つだけ紹介しておきます。この辞典は通常の英々辞典ではなく、英語を母国語としない人が英文を書くときに困ることが多い「語の組み合わせ」に特化した辞典です。
● LPT Dictionary of Selected Collocations (Language Teaching Publications)
この辞書は次の3つのセクションから成り立っている。
- The Noun Section
- The Adverb Section
- Sentence Adverbs
The Noun Section では特定の名詞に関係する動詞と形容詞が紹介されている。
例えば、abolitionという名詞の場合には次のようになっている。
V = Verb、A = Adjective、P = Phrase
V: call for, campaign for ~
A: outright, total ~
P: abolition of the death penalty/slavery
The Adverb Section では特定の動詞や形容詞などに関係する副詞が紹介されている。
例えば、study という動詞の場合には次のようになっている。
study something carefully, closely, conscientiously, dispassionately, in depth, in detail, minutely, objectively, properly, thoroughly, under laboratory conditions
Sentence Adverbs では論文などでよく使用される文修飾の副詞が紹介されている。
例えば、E の項目には次のような副詞が紹介されている。
Equally, Essentially, Even so, Eventually, Explicitly
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中澤 幸夫
ナカザワ ユキオ
1944年東京生まれ。一橋大学・経済学部卒業。
毎日新聞社を経て、現在は翻訳家・著述家・予備校講師。一橋学院にて長年にわたり英語講師をつとめる。大学入試英語のための参考書を多数執筆。『話題別英単語リンガメタリカ改訂版』(Z会出版)、『英文解釈のトレーニング必修編』(Z会出版)、『速読英文読解 高校上級用』(日栄社)など著書多数


